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スーパーカー リンク集

スーパーカーはスポーツカー、またはGTカーの一種であると言える。一般的には、「かなり風変わり(な外観)で珍しく、同時代のスポーツカーと比較して極端に性能が優れるもの」を指す場合が多い。高級、高額、高出力であっても、セダンやリムジンがこう呼ばれることはまず無い。 走行性能やスタイルなどにより一般のスポーツカーと差別化されているが、「スーパーカー」という言葉の広まりにつれ、定義は非常に曖昧になり、専門家やエンスージアストなどの間でも議論がある。 また、時代によってもその概念が変化し、機構や装備、動力性能などは、ある時点では「スーパー」であっても、技術革新により、後の世代では「スーパー」ではなくなる場合もある。スーパーカーと非スーパーカーの区別が明確にある訳ではなく、また、メーカー自身がスーパーカーを自称する事も稀である。日産・GT-Rの車両紹介には「スーパーカー」の記述があるが、全天候下で安全で速い(そして、快適で楽しい)ことをうたっていることから、華やかだが御しがたい「エキゾチックカー」に対するアンチテーゼ、つまり一種の皮肉として用いられている節がある。「スーパーカー」という言葉はもっぱら消費者側の視点に立った呼称であり、したがって、印象と存在感が極めて大きい車を好意的に指していると解するのが妥当だろう。その点、「エキゾチックカー」という呼称は、数字では表せない、時間がたっても色褪せない、独自の「オーラ」を持つ車両の表現に適している。 ただし、スーパーカーと呼ばれるものの全てがレーシングカーの技術を利用しているとは限らず、悪く言えば「見かけ倒し」的なものもあった。それでもそういったものがスーパーカーと呼ばれる理由はその外観にある。高性能であるだけではスーパーカーの部類には当てはまらず、スーパーカーと呼ばれるものは一般の乗用車とは異なる誰もが一目でスーパーカーとわかる、いかにも速そうな外観を持つことが最大の特徴とも言える。 スーパーカーのほとんどは、メーカーのフラッグシップとしてイメージリーダ的な役割を負い、その時代の最新技術が惜しみなく投入されている。エクステリア、インテリアともに、時代を先取りしたスタイリングがなされ、マルチシリンダーエンジンを擁した、贅沢な2座席であることが多かった。多くがエンジンの存在を際立たせるパッケージングで、ラゲッジスペース等は無いに等しい。 これらはすべて、大量生産にはそぐわないものであり、量産スポーツカーに比べ、生産台数は極端に少なく、多いものでも数万台、少ない場合には数台程度のものもある。また手作りのため、非常に高額となる。 フェラーリやランボルギーニなどの典型的なスーパーカー・メーカーは、スーパーカー専業である場合が多いため、上記のような定義には疑問の声もある。大量生産される大衆乗用車と少量生産のスーパーカーを両方製造し、スーパーカーが大衆車のイメージリーダーになっている例は、M1を製造したBMWなど、かなり限られる。BMWも当初は、エンジンのみを供給し、設計と生産をランボルギーニへ丸投げする予定だった。フォード・GT40の場合はスーパーカーというよりは、コンペティションカーとの認識が一般的である。 ホンダもその少数例と言われることもあるが、フラッグシップカーであるNSXは高額とはいえ、あくまでマスプロダクトカーであるため、ホンダ自体の考えとしては、希少性へのこだわりは低かったと見られている。貴族階級や億万長者(もちろん成金も)など、選ばれたごく少数の人のための特別な車であるスーパーカーは、希少性も非常に重要な価値である。 このようにスーパーカーは究極の走行性能やデザイン、そして究極なる存在を追い求めているが、その反面、大衆車に求められるような乗りやすさ、実用性、経済性、整備性、耐久性といった要素は考慮されていない場合がある。 車種にもよるが、前述の低車高と傾斜のきついフロントガラスによる視界の悪さ、低回転のトルクに欠けるエンジン、高温にならないと効きの悪いブレーキ、マニュアル車では重く癖の強いクラッチ、多気筒エンジンでは始動性の悪さ(徳大寺有恒も著書で「フェラーリの12気筒エンジンは始動にコツがいる」と語っている)、居住性の問題として雨漏り(そもそもルーフやフロントガラスさえ無い車種もある)や静粛性の悪さ、エアコンやオーディオの不装備など、デメリットがある。また、カーボンやチタンなど加工の難しい素材をふんだんに使っているため、ちょっとした事故による破損でも修理不能で廃車になってしまう(俳優ローワン・アトキンソンが所有していたマクラーレン・F1など)ことすらある。修理できたとしても大衆車のように部品はすぐ調達できず、驚くほどの日数と費用がかかる場合も多い。

スーパーカーは、階級制度によって育まれてきたヨーロッパの産物のひとつでもある。金に糸目を付けず特別なものを欲しがる上流階級と、そういった需要に応え手間暇をかけて一品製作に近い形で高級品を製作する職人集団という構図が古くからあり、スーパーカーに限らず特殊なものが生み出されてきた。現代においては、ヨーロッパの階級制度以上に、オイルマネーを牛耳るアラブの富裕層なども大きな顧客層となっており、世界中に目を向ければ、珍しいものを欲しがる金持ちは相当数いるため、商売の対象はそれなりにある。自動車評論家清水草一の「フェラーリがローンで買えるのは日本だけ」という言葉には、日本の国情とスーパーカーのなじみ方がよく表されている。 少量生産ゆえ、状態が良好で走行距離も少なければ価値が下がりにくいという面もあり、金と同様に安定資産と見る向きがある。最近では日本円にして1億円超という限定生産車が発売され、すぐに完売するという現象が続いているが、購入目的の多くは走る為ではなく、プレミアが付くことを目論んだ投機だという意見もある。

日本では、かつて1974年から1978年にかけて、池沢さとしの漫画「サーキットの狼」などの影響で、スーパーカーの爆発的なブームが起きた。 スーパーカーは一般大衆には入手が困難なことから、特に自動車が好きな人達から見ると羨望の的となった。 当時のブームにおいて知名度を得たスーパーカー群は、21世紀初頭の現在でも根強い人気がある。 このブーム当時の日本では、車の購買層ではない低年齢層へのプロモーションとして、コカ・コーラ、ファンタ等の清涼飲料水の王冠に車が描かれていたり、カード型の書籍が発売されたり、スーパーカー消しゴムと呼ばれる塩化ビニール製のミニチュアが売られたりした。また日本の各地においてスーパーカーの展示会が行われた。並行する形でF1ブームも巻き起こった。 テレビでもブームにあてこんだ番組が製作された。スーパーカーに関するクイズ番組『対決!スーパーカークイズ』(東京12チャンネル=現テレビ東京系列)の他、テレビアニメでは1976年の『マシンハヤブサ』を先駆けとして、1977年になると『とびだせ!マシーン飛竜』『超スーパーカー ガッタイガー』『激走!ルーベンカイザー』『アローエンブレム グランプリの鷹』が放映された。これらはスーパーカーブームとF1ブームの相乗効果だったと見られる。今も、最盛期に比べると劣るが、車の人気は根強い。 プームは異常な加熱を見せた。1977年春に東京晴海で行われた「サンスター・スーパーカー・コレクション77」などのスーパーカーショーでは、スーパーカーの写真撮影をしたいと高級カメラを持った少年たちが長蛇の列を作り、新聞などの一般マスコミで社会現象として大きく取り上げられた。同年7月には同じく晴海で「ラ・カロッツェリア・イタリアーナ'77」というイベントが開催されている。 一般的な自動車雑誌もこぞってスーパーカー特集を組み、関連した書籍や写真集に加え、スーパーカーの排気音だけを収録したレコードも登場した。街にスーパーカーが停まっていると人だかりができ、通行に支障が出るほどだった。少年たちから「ライト出して!」などと促され、運転しているオーナーが苦笑しながらリトラクタブルライトを作動させたり、少年たちが写真撮影を終えるまで停車して待ってやったり、という場面も見受けられた。またスーパーカーのエンブレムを窃盗するなど、悪質な行為を行うマニアも現れた。1978年には鈴鹿サーキットでスーパーカーレースの選手権まで開かれるようになった[4]。 スーパーカーの代表的な存在として君臨したのがランボルギーニ・カウンタックだった。その他にもフェラーリ・512BBやポルシェ・ターボなどが特に人気のあった車種である。スーパーカー人気が新たな需要も生み出し、この時期の日本には異常なほど多数の欧米製スーパーカーが輸入されたと言われる。正規代理店以外に並行輸入業者も多数生まれた。世界中のどの国よりも路上でスーパーカーを多く見かけるのが日本という説もあったほどだった。 ブームは1978年ごろには沈静化し、カメラ少年たちの興味はブルートレインなどに向かったと言われる。 紙切り芸の林家正楽(2代目)が「徹子の部屋」に出演した際、これまで苦労したことは何かと聞かれて「スーパーカーブームの頃は大変だった。寄席に来た子供さんからスーパーカーを切ってくれというリクエストが多く、スーパーカーの名前と形を必死になって覚える必要があったから」と答えたことがある。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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